第11回 文化財保存修復学会奨励賞・業績賞・学会賞受賞者

第11回文化財保存修復学会 学会表彰が決定

文化財保存修復学会表彰委員会が第11回の学会賞、業績賞および奨励賞について審議した結果、本年度の各賞受賞者が決定いたしましたのでお知らせします。

【学会賞】 2名

伊藤由美(神奈川県立近代美術館 非常勤研究員 保存・修復担当)
 氏は、神奈川県立近代美術館に保存修復担当研究員として長年保存管理に携わり、文化財の保存状態が分かる専門の保存管理者の必要性を強く説くとともに実践してきた一人である。その活動は地味ではあるが館内はもとより全国美術館の関係者によって高く評価されている。氏は20年近く実践的な油彩画修復経験を経て美術館活動に身を置いたが、修復技術者としても高く評価されていた。その豊富な体験と知見によってこれまでにない美術館活動のありようを見出し広く社会に紹介するなどその影響は大きい。たとえば、高橋由一とされる二枚の「西周像」をとりあげ「美は甦る 検証・二枚の西周像—高橋由一から松本竣介まで—」(2013年 神奈川県立近代美術館葉山)の展覧会において集約されるが、若手研究者を積極的に採用したプロジェクトチームを組み、詳細な史実調査と光学的・材料分析調査も行い実際に修復につなげた成果を発表している。後進の人材育成では、愛知県立芸術大学の客員教授として、あるいは東京藝術大学の非常勤講師として尽力している。このように、文化財保存分野において多くの業績と貢献は、学会賞にふさわしい。
川越和四(一般財団法人環境文化創造研究所・主席研究員)
 氏はPCO(ペストコントロール会社)に所属して、古くから文化財の生物被害防除に携わってきた。1970年代から1980年代にかけては、薬剤を用いた文化財の殺菌・殺虫燻蒸の実用化に協力し、その普及に貢献した。他方では、委託されたガス燻蒸による殺虫処理を行うだけでなく、博物館における生物被害防除のためには、環境と人間の健康に配慮し、館内外の虫の生息状況を常に把握することの大切さを早い時代から強調して、関与する館や研究機関に対し委託された業務以上の協力をおしまなかった。さらに2005年の臭化メチル全廃に際しては、殺虫燻蒸処置中心から予防中心の防除への転換を率先して目指した。そして文化財IPM普及のために企業人として力を尽くし、現在も環境文化創造研究所の主席研究員として文化財IPMの普及に努めている。博物館における業務の遂行においては、氏は常に協力者としての立場に立ち、国立民族学博物館の共同研究員を務める他は、特に表立っていない。しかし氏が業務を通じてIPM体制確立のために助力、助言した館は、国立民族学博物館、九州国立博物館、愛知県美術館など数多く、いずれにおいても、学芸員や研究者では果たせない重要な役割を果たしている。企業の利益を超えて、他の者にはできない役割を果たす氏の活動は、文化財保存分野に対する大きな貢献であり、その功績は学会賞にふさわしい。

【業績賞】 4名

荒井経(東京藝術大学大学院文化財保存学専攻保存修復日本画・准教授)
 氏は日本画家として、日本画の現代美術としての在り方を問い続けてきた。そのため日本画材料の近代史を明らかにすることを考え、古典的な日本画が明治時代に生き残ろうとする中で、日本画に用いられる顔料や紙などの材料がどのように変遷したかを、文献だけでなく数多くの絵画の資料を調査・分析して研究を進めた。その成果を「日本画と材料―近代に創られた伝統」(武蔵の美術大学出版局、2015)として出版した。この本は狩野派に代表される古典的な日本画が、どのような経緯を経て現在の日本画になったか、用いられた材料の面から初めて明らかにしたものである。この本は出版界の反響も大きく、絵画材料と技術が時代と共に動くことへの面白さに読者をひきつける。文化財保存修復分野への理解を進める上で、その貢献は大きく、その活動は業績賞にふさわしい。
岡岩太郎(泰央)(岡墨光堂・代表取締役)
 氏は、これまで日本を代表する保存修復技術である装潢技術の視点から、実際の修復を通した実践研究を行い、当学会での発表のみならず、海外の学会などでの発表も積極的に展開してきた。また、2014年には、ティナ・グレッテ・プールソン著”Retouching of art on paper”の翻訳本『修復は紡ぎだす詩』の刊行について中心的な役割を果たし、海外の修復事情を国内に共有する基盤づくりに大きく貢献している。さらに、近年では装潢技術のひとつである打刷毛の工程に着目し、熟練職人と新人職人の打刷毛の動作解析を行った研究は、保存修復技術の継承モデルの新機軸を打ち出したもので、高く評価できる。文化財保存修復分野の技術継承、普及について貢献は大きく、その活動は業績賞にふさわしい。
長屋菜津子(愛知県美術館・保存担当学芸員)
 氏は、愛知県美術館の「保存担当学芸員」として採用され、25年にわたり実際の館運営の中で、作品・資料の保存業務および科学調査に取り組み、日本の美術館における保存担当の位置付けを模索し続けた。今日、考古遺物から現代美術まで1万余点を所蔵する愛知県美術館の「保存担当の位置付け」は一つのモデルを示している。加えて防災危機管理体制確立に貢献し、自らが所属する館の体制を整えるばかりでなく、全国の美術館のために災害時の実施要領草案(全国美術館会議)を作成するなど、今日の文化財危機管理体制につながる萌芽期の活動の中で重要な役割を担った。また総合的有害生物管理への先駆的な取り組みがある。早期からこの課題に取り組み、日本型IPMプログラムともいえるプログラムを提示した。現場の保存担当学芸員を代表し、その大任を見事に果たした功績はまことに大きい。これらの業績は業績賞にふさわしい。
早川泰弘(東京文化財研究所保存科学研究センター・副センター長)
 氏は、ポータブル蛍光X線分析装置を用いた文化財の非破壊分析を、わが国では最も早くから行い、安全にかつ正確に分析データを積み重ねる方法で、この分析手法の実施への信頼を確立した日本の顔料研究の第一人者である。作品を移動しないで分析できる特徴を生かして、これまでに国宝源氏物語絵巻の分析で水銀を含む白色顔料を用いていることを明らかにしたことをはじめとして数多くの成果を挙げてきた。江戸時代の顔料調査では、伊藤若冲の動植綵絵全30幅や幕末の武雄鍋島家皆春齋の絵具(佐賀県武雄市)など、精力的に数多くの資料を非破壊分析し、江戸時代の文化の豊かさを示した。古墳時代から近代にいたる多くの絵画を調査する中で、亜鉛やヒ素を含む緑青の利用実態、鉛白から胡粉への白色顔料の変遷などをあきらかにし、日本の顔料研究史を包括的に著した。多くの文化財研究、文化財保存分野の研究に尽力した活動は業績賞にふさわしい。

【奨励賞】 3名

古田嶋智子(日本学術振興会・PD研究員)
 氏は、密閉展示ケースに用いられる木材、接着剤、クロス、コーキング剤などの製作材料から放散する、酢酸などの汚染ガスの挙動について豊富な研究を行い、その成果は学会大会などで積極的に発表している。展示している文化財の被害抑制のため、実物大の試験用展示ケースを用いて汚染ガス濃度の増加率を実測して把握するとともに、シミュレーションにより予測した成果と比較検証することによって、材料の特性把握やケース内汚染ガス濃度低減に生かす研究を成し遂げた。この成果は、博物館における展示ケースの持つべき特性として、温湿度変動の抑制のみならず、化学物質による汚染に対しても安全な展示ケースを作るべきであると、文化財保存分野全体に警鐘を鳴らした点が評価される。文化財保存分野に対する今後の活躍が期待でき、奨励賞にふさわしい。
中村力也(宮内庁正倉院事務所・調査室長)
 氏は正倉院宝物を対象として文化財学、保存科学的な立場から材質分析や劣化状態の調査などについて多くの研究実績を挙げてきた。特に有機質で構成された繊維製品などを中心に染織品の染料などの色料の同定、また木材の接着剤の種類を特定するなど、正倉院宝物に於ける有機質資料の分析について、自然科学的な分析方法を駆使し、その材質などを特定してきた。これらの成果は学会誌への研究論文としての発表であったり、近年にはほぼ毎年にわたる学会大会での研究発表であったりと積極的な活動を続けている。また、地元奈良での大会では実行委員として大会運営にもかかわった。これまでの研究の対象は正倉院宝物であるがこれらの研究は文化財全般に関わる研究に繋がる重要な研究であり、今後の活動が期待でき、奨励賞にふさわしい。
和髙智美(合同会社文化創造巧芸・代表)
 氏は、元興寺文化財研究所所員、国立民族学博物館技術補佐員、人間文化研究機構プロジェクト研究員を経て、現在、合同会社文化創造巧芸の代表を務めている。博物館におけるIPMの視点から国立民族学博物館を主なフィールドとして実践的な研究をつづけ、その成果は文化財保存修復学会で報告するとともに、シンポジウム等において講演活動を展開している。2010~2012年にはエジプト・大エジプト博物館保存修復センターにおいて、IPMの視点に立った収蔵庫の配架方法について専門家として助言し、2016年にはこれまでの経験をまとめ、生物生息調査結果を活用するための方法論について著した。これらの活動は公立研究機関の研究者のように目立つ存在ではないが、学芸員や研究者では果たせない文化財保存修復分野全体を支える重要な活動を担っている。文化財保存分野に対する今後の活動が期待でき、奨励賞にふさわしい。

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