地域スタッフからの情報[19]

地域スタッフから2008年8月29日までに寄せられた情報を掲載します。

【海外より】

石井地域スタッフ(ドイツ)

[海外会員からの声]

海外地域スタッフの幅を広げ、同時にもっと様々な分野でご活躍の方々からの情報をご紹介できるように、ただ今、ヨーロッパの通信ネットワーク拡張に努めているところです。
 今回は、アイルランド・ダブリン在住でアイルランド・ナショナルギャラリーにお勤めの小西通恵会員が自己紹介を兼ねて、アイルランドにおける保存修復の最近の動向を知らせて下さいました。(石井)

小西通恵会員より
●「アイルランドの保存修復界」

 

私は、アイルランド共和国(首都ダブリン)のNational Gallery of Irelandに年次雇用契約の絵画保存修復家として赴任して2年になります。今回、アイルランドの保存修復界について寄稿させていただきます。
 まず、アイルランドの特徴として、EUのなかで人口400万人(2006年)の小国ですが、英語がアイルランド語と同時に共通語になっている点や歴史的にもイギリスと繋がりがあり、多くの部分でイギリスの影響がみられます。保存修復もこの域で、地元で保存修復家として活躍している殆どの若い人は、イギリスで正規の保存修復の教育を受けていることが多く、また、保存修復材料や機器は全てイギリスやEU諸国からの輸入に頼っています。
 アイルランド共和国の美術館や博物館においては、独自の保存修復課があることは極めて少なく、従って政府管轄で小規模の美術館・博物館が有する多くの修復対象作品は、The Office of Public Works(http://www.opw.ie)という 政府管轄団体を通して保存修復事業者に外注する体系となっています。保存修復課が機関内に存在するのは、大規模のコレクションがある国立機関ですが、総作品数に対する保存修復家の数は絶対的に少なく、しかも終身雇用のポストは稀で年次雇用やプロジェクトごとの契約が殆どと言えます。ちなみに私が所属するNational Gallery of Irelandは、主に3000点以上の絵画作品と1万5千点以上の紙本作品を有しますが、現在、保存修復課は2人の絵画保存修復家と3人の紙本保存修復家で日常業務をこなしています。
 美術館所属の絵画保存修復家の職務は、日本の美術館・博物館所属の保存修復家と同様に多岐に渡ります。現在の私のポジションはアシスタントではありますが、作品保存修復はもとより、貸出・借り入れ作品の状態調査、展覧会の保存修復、新規作品購入時の作品状態調査、保存修復課の経営バックアップ、環境整備、美術館の将来構想への寄与として環境・災害計画などが含まれます。
 アイルランド保存修復関連団体としては、
・Irish Professional Conservators and Restorers Association
(http://www.ipcra.org)
・Institute of Conservation of Historic and
Artistic Works in Ireland
(http://www.irlandconservation.org)
が政府認知団体となっています。会員はアイルランド共和国と北アイルランド在住が主となっていますが、海外会員も存在し、インターナショナルに活動の場を広げる傾向にあります。特に、現在、アイルランドは20年に渡る経済バブル期が過ぎてこれから縮小期に入る見通しですが、その状況とは反比例して保存修復団体の活動は活発化しており、より多くの人に知ってもらうことを目的に上記2団体を1団体にしようとしている状況です。また、政府管轄機関であるHeritage Councilも美術館・博物館の存在意義を広めようと、EU機関、地方自治体連携でHeritage Weekを毎年一週間にわたって開催しています。
 以上、少しでも皆様の参考になれたならば幸いです。

【北海道地区】

田口地域スタッフ

[ニュース]
●アイヌ民族の復元家屋も ルスツ「情報館」の内容決定

道は、北海道洞爺湖サミットで来道する報道関係者らに道内の歴史や自然を紹介する「北海道情報館」の展示内容を発表した。国際メディアセンター(IMC)が置かれる後志管内留寿都村のルスツリゾート内に設置し、道内での取材の支援も行う。情報館は460 ㎡の広さで、「エントランス」「G8との関係」「アイヌ文化」「海」「大地」「森」「冬」「コミュニケーション」の8ゾーンで構成。北海道の自然や産業の特色、バイオ関連など先端技術を、映像やパネルで紹介し、流氷や木材製品などの現物も展示する。アイヌ民族に関しては、伝統家屋「チセ」を復元して神具・生活用品を展示。北方領土問題は、「G8との関係」ゾーンで歴史的経緯などを説明する。アイヌ民族の権利問題や領土問題の詳細については、説明員を配置して対応する。情報館はその後解体されるが、一部の展示物は道内既存施設に寄贈する。
(北海道新聞:2008年6月10日)

●豊平川さけ科学館が老朽化で存廃の危機

30年前に始まった「カムバックサーモン運動」の象徴的な施設になっている札幌市豊平川さけ科学館(南区真駒内公園)が、存廃の危機に立っている。施設が老朽化し、2015年以降に建て替えなどが必要になるためだ。市は市民アンケートや有識者会議を通じ、来年度までに結論を出す考えだ。市によると、建物は14年ごろまでは使えるが、その後は大規模修繕か建て替えが必要になる。市は財政難の中、多額の費用をかけて存続させる必要があるか否かを検討する。
(北海道新聞:2008年6月11日)

●アイヌ民族に海外熱視線 国会決議に取材相次ぐ 「アピール絶好機」

道内のアイヌ民族関係者に、海外メディアの取材が相次いでいる。先住民族の権利問題が国際的に注目される中、北海道洞爺湖サミットを前にアイヌ民族への関心も高まっている。ウタリ協会の加藤忠理事長は「海外に比べ、日本では先住民族の権利が置き去りにされてきた。アイヌ民族が日本の先住民族であることを海外にアピールし、政府を動かしていきたい」と話している。各社の論調の多くは、アイヌ民族の歴史に触れ、先ごろ国会で可決された「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を権利回復の一歩などと評価。一方で、政府の慎重姿勢に変化がないことなどを指摘している。サミット直前に、先住民族が集うサミットが開かれるほか、後志管内留寿都村にできる報道機関向けの「北海道情報館」にはアイヌ文化コーナーも設置される。
(北海道新聞:2008年6月19日)

●貝殻跡付いたアスファルト塊 国内で初めて出土 函館・南茅部の縄文遺跡

 国宝中空土偶の出土で知られる函館市南茅部地区で、中空土偶が作られたのと同時期の縄文時代後期後半(約3500-3200年前)の豊崎B遺跡から、アワビとみられる貝殻の痕跡が付いた天然アスファルトの塊が国内で初めて出土した。発掘調査を担うNPO法人函館市埋蔵文化財事業団が25日、明らかにした。天然アスファルトは、本州から交易で道内に持ち込まれた。南茅部地区には91ヵ所もの縄文遺跡があり、そのうち磨光B遺跡などから出土したアスファルトの塊は秋田産であることが確認されている。中空土偶が出土した著保内野(ちょぼないの)遺跡から約8キロ離れた豊崎B遺跡では国道のバイパス工事に伴う発掘調査が5月から行われており、アスファルト塊は今月3日に竪穴住居跡から出土した。
(北海道新聞:2008年6月26日)

●ユネスコ、知床保全へ9点勧告 2012年までに再報告求める

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第32回世界遺産委員会がカナダ・ケベック市で開かれており、審査議題の一つ、世界自然遺産・知床の保全状況に関する報告内容が4日、分かった。ユネスコ側は知床の取り組みを高く評価する一方、海洋汚染防止のための特別敏感地域(PSSA)の設定検討など海の生態系保護を中心に9つの重点勧告を明記、2012年までに再び保全状況を報告するよう日本政府に求める。環境省などによると、報告書は知床の保全の取り組みを「効果的」と評価。委員会最終日に決定されるが、知床の世界遺産の地位は維持される見込みだ。9つの勧告は、2月の国際自然保護連合(IUCN)などによる現地調査の後の17の勧告を踏襲しつつ絞り込んだもの。PSSA設定のほか《1》海域管理計画に客観的な指標を《2》海の生物多様性確保に禁漁区を含めた取り組みを《3》スケトウダラなどの資源利用に関するロシアとの情報交換-を挙げ、海洋関連が4点と最多だった。日本側の取り組みは12年の世界遺産委で再度、審議される。
(北海道新聞:2008年7月5日)

【東北地区】

渡邉地域スタッフ

[ニュース]
●故黒川紀章氏設計の寒河江市庁舎、耐震診断で「崩壊の危機」

 建築家故黒川紀章氏が1967年(昭和42年)に設計した山形県寒河江市庁舎の耐震診断で、阪神大震災クラスの地震が発生した場合、「建物全体の崩壊を招く危険性がある」との結果。建物の四方に配置したコア柱が支えている2階部分において、縦方向の圧力で横にずれてつぶれる「せん断降伏」が発生して「建物全体の崩壊を招く危険性がある」という。
 同市は当初、建物の構造が特殊で通常の診断方法に適していないなどとして、耐震診断を行っていなかったが、去年1月黒川氏より「正式な依頼があれば、無償で耐震調査を行う」との申し出を受け、黒川紀章建築都市設計事務所(東京都)と織本構造設計(同)に耐震診断を依頼していた。
(山形新聞:2008年5月1日)

●最上三十三観音連合御開帳

 最上三十三観音の「子年縁年連合御開帳」が5月1日、始まった。1932年(昭和7年)に最上三十三観音の別当会が発足した際に解読された古文書から、同観音信仰は1432年(永享4年)頃形成されたとわかり、草創500年記念の合同御開帳を開催。
(山形新聞:2008年5月2日)

●石の傷から地震復元

山形大学の川辺孝幸教授(地質学)が2007年3月の能登半島地震の際に倒壊した墓石や鳥居の傷を分析し、地震動の様子や振動の方向、強さを復元することに成功した。
 川辺教授は地震発生後の調査で、輪島市内の倒壊墓石にみとめられた数種類の傷を分析、揺れ方の推移を推測した。これが、防災科学技術研究所が同市に設置していた強震計の示す地震動とほぼ一致した。
遺跡に遺された傷から過去の地震の様子が分かったり、地震計の整備の遅れている地域での地震動の様子を知ることができるという。
(山形新聞:2008年5月11日)

●出羽三山神社で防火訓練

 山形県鶴岡市の出羽三山神社で防火訓練が行われた。三神合祭殿付近から出火したとの想定で、巫女・職員による消火器・放水銃での消火活動の後、合祭殿の屋根にある「ドレンチャー」と呼ばれるスプリンクラーのような装置から散水し、市消防本部のはしご車が駆けつけた。
 同神社の防災設備工事は2007年秋より、国の補助事業として約2億円をかけて取り組んだ。合祭殿を囲む5つの放水銃は最大で25mまで水を飛ばす圧力設定が可能で、ドレンチャーは同殿屋根に22箇所設置されている。
(山形新聞:2008年5月15日)

●湯殿山神社例大祭

 山形市旅篭町の湯殿山神社の例大祭が18日行われた。みこしを担いで練り歩く「渡御」では、約70年ぶりに修復したみこしを披露した。
 このみこしは、1936年(昭和11年)に寄進されたもので、近年は担ぐと屋根がぐらつき、漆塗りや金箔を押した部分が剥落するなど老朽化による傷みが目立っていた。このため同神社の鎮座130周年記念事業として奉賛金を募り、昨年の例大祭の後、市内の業者に修復を依頼していた。上部に飾られた鳳凰などの金箔を張り替え、漆も塗りなおした他、内部を支える柱4本を新品に交換し、担ぎ棒も丈夫な青森ヒバに替えた。
(山形新聞:2008年5月19日)

●荘内神社本殿屋根銅板葺き替え

 山形県鶴岡市の荘内神社は老朽化の進んだ本殿屋根部分の銅板葺き替え工事を行っている。庄内藩主酒井家を祀るため1877年(明治10年)に鶴ヶ岡城本丸跡に建立された同神社は約5000㎡の敷地内に本殿・拝殿・参集殿などを構える。
 本殿の屋根は1914年(大正3年)に、瓦から銅板に葺き替えられた。近年傷みが目立ってきており、今冬の降雪により大量の銅板が剥がれ落ちていた。本工事に当たり同神社では銅板一枚あたり3000円の寄付を呼びかけている。7月末まで募集し、銅板には寄贈者の名前を記すという。
(山形新聞:2008年5月24日)

●柏倉九左エ門家清掃活動

 山形県中山町の県指定有形文化財 柏倉九左エ門家の保存活用に取り組む地元と宮城県のグループが25日、約350年の歴史ある旧家の建物を手入れした。同家の保存活動に賛同し、数年前から年2回の掃除ボランティアに取り組んでいる宮城県のグループ「いざなみプロジェクト」のメンバー13人が、窓ガラスを一枚一枚拭いたり、仏蔵の仏具を丁寧に磨いたりと旧家の手入れに精を出した。
(山形新聞:2008年5月26日)

●「文殊騎獅像」修復記念講演会

 山形藩主 最上義光の母、永浦尼が義光の武運を祈って寄進したとされる、山形市指定有形文化財の刺繍「文殊騎獅像」の修復を記念した講演会が山形市の山形大学で開かれた。刺繍は縦約90cm、横約30cmで、1563年(永禄6年)の制作とされる。
 山形市八日町の宝光院が所蔵していたもので、山形大学に寄贈されたが、虫食いなどの傷みが激しいため、修復を松鶴堂(京都市)に依頼していた。
 講演会では、松尾剛次山形大学教授、松鶴堂袴田尚志修理技術部絵画担当課長、九州国立博物館伊藤信二学芸員が講演を行い、刺繍も一般公開された。
(山形新聞:2008年6月1日)

田川地域スタッフ

[ニュース]
●伊東家侍住宅の改修終え公開

 武家屋敷の町並みが残る岩手県金ケ崎町の城内諏訪小路地区で、「伊東家侍住宅」が改修・復元され、落成式が行われた。住宅の建築は江戸末期と伝えられ、書院造りの奥座敷などに当時の侍住宅の特徴を残している。全9部屋のうち4部屋を4、5日と、毎週金、土曜日に公開する。
(河北新報:2008年5月4日)

●修復工事完了 鈴木家住宅往年の輝き

 国の重要文化財に指定されている秋田県羽後町の鈴木家住宅の修復工事が終わり、2年間休止していた一般公開を3日に再開した。母屋は、17世紀半ばに建てられた県内最古のかやぶき民家で、1973年に国の重要文化財に指定された。
(河北新報:2008年5月5日)

●旧陸軍施設相次ぎ解体

 旧陸軍関連の建物が数多く残る盛岡市青山地区で、街の景観が様変わりしている。覆馬場と兵舎が今年に入り、相次いで解体された。江戸期の町家をはじめ明治、大正期のモダン建築などの保存活用に力を入れる土地柄だけに、失われゆく地域のシンボルを惜しむ声が上がっている。市北西部の青山地区は戦前、騎兵第三旅団や工兵第八連隊の駐屯地として発展した。戦後は戦地などからの引き揚げ者が住み着き、戦時の記憶を色濃く刻む街並みとして知られる。それが今年、いずれも民間企業が所有する覆馬場と兵舎が次々壊された。
(河北新報:2008年5月6日)

●装飾壁画5年ぶり公開 「泉崎横穴」

 福島県泉崎村の国指定史跡「泉崎横穴」の石室内部が10、11の両日、5年ぶりに一般公開された。村教委が03年から閉鎖して進めてきた修復作業が終了し、鮮やかさを取り戻した装飾壁画をガラス越しに観覧できる。泉崎横穴は6世紀末から7世紀初めに造営された有力者の墓。石室には被葬者とみられる弓を引く騎馬人物像、手をつなぐ4人の男性、ささげ物をする2人の女性や渦巻き模様などが、顔料のベンガラで赤く描かれている。1933年の県道工事で姿を現し、東北初の装飾壁画の発見として注目された。以前は懐中電灯を手に自由に見学できたが69年に壁画が傷付けられ、内部の劣化も進んだことから閉鎖された。
(河北新報:2008年5月8日)

●大清水上遺跡など指定

 16日に行われた文化審議会答申で、東北からは、史跡に岩手県奥州市の大清水上(おおすずかみ)遺跡が、登録記念物に秋田県仙北市などに残る田沢湖のクニマス(標本)がそれぞれ選ばれた。
(河北新報:2008年5月17日)

米村地域スタッフ

[研究会報告・開催案内]
●北海道・東北保存科学研究会の活動報告

1.第16回定例会in山形
 

去る3月8日(土)・9日(日)に、第16回定例会が東北芸術工科大学で開催された(参加者23名)。
 今回は「収蔵施設の現場から」をテーマとし、参加者が抱える保存上の問題について提示し合い、活発な意見を交わした。また、「文化財保存活動のグローバル化」について、韓国・台湾で構築されている組織や、その活動の報告があった。9日は以下の施設を見学した(希望者)。
・東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター
・山形市郷土資料収蔵所
・山形県埋蔵文化財センターの収蔵・保存処理施設

2.第17回例会in秋田

日時:9月20日(土)・21日(日)(予定)
会場:秋田県埋蔵文化財センター男鹿分室
(秋田県男鹿市)
内容:①秋田県からの事例報告
収蔵環境、出土漆塗布土器の現況、埋没家屋木材の現状、環状列石石材の風化等について
②見学
男鹿市所蔵の小谷地遺跡出土埋没家屋

3.第2回 木材の勉強会

出土木材の保存処理法や樹種同定などに関わる勉強会を10月頃に実施予定
会場:秋田県立大学(秋田県能代市)
内容:樹種同定(主要8種を識別できるようになろう!)

4.第4回 保存科学講座

本研究会では、東北諸地域の埋蔵文化財センター従業者等に出土金属製品や木製品の保存処理法を伝える講座を実施している。今年度は、茨城県内において出土鉄製品保存の講座を行う(11月開催予定)。

【関東地区】

沓名地域スタッフ

[ニュース]
●焼失の「旧石原家」再建し公開 江戸中期の農家 消火設備を強化

火災で焼失した笛吹市八代町南の市指定文化財「旧石原家住宅」の再建工事が終わり、市は一般公開を始めた。火災の再発防止策として屋根は銅板ぶきを採用した。
旧石原家は、江戸中期の農家の様子を伝えるかやぶきの民家(木造一部2階建て)だったが、2006年11月に屋根部分から出火してほぼ全焼した。昨年7月から、建物を持ち上げて再建場所に移動させる曳家作業などの工事が行われた。
銅板ぶきの屋根は、かやぶきの趣を再現するため屋根に厚みを持たせ、内部はよしずを張った。敷地内の消火設備を増やすとともに、屋内には火災報知器や警備システムを新設した。
市教委によると今後、子どもが昔の生活習慣を学ぶ体験学習や読み聞かせの会場として活用していく。
(山梨日日新聞:2008年4月1日)

●安藤家住宅の修復完了し一般開放

県から南アルプス市に本年度移譲された同市西南湖の重要文化財「安藤家住宅」の修復工事が完了した。25日に関係者らでセレモニーを行い“化粧直し”を祝う。
市教委などによると、修復工事は同住宅を保存活用していくため、県教委が国の補助を受け2006年度から2ヶ年で実施。総工費約6400万円で母屋や表門のかやぶき屋根のふき替えや蔵のしっくいの塗り替え、板塀の腐食部分などを補修した。
安藤家の先祖は武田氏の家臣で小尾氏を名乗り、峡北地方を拠点とする津金衆に属したとされる家柄。同住宅は1976年に重要文化財に指定され、これまで県が所有、同市が管理していた。4月からは地元に密着した活用を図るため、同市に移譲された。
(山梨日日新聞:2008年4月7日)

●万代橋欄干の一部欠け落ちる

新潟市中央区の国指定重要文化財、万代橋の欄干にひび割れが見つかり、同橋を管理している国土交通省新潟国道事務所が10日、応急補修を行った。同事務所では今後、損傷部を含む欄干のパーツを長さ約1.7m分そっくり取り換える予定で、「文化庁と協議の上、工事に着手したい」としている。
現在の万代橋は1929(昭和4)年の建設から79年がたっており、2004年改修の際に老朽化した欄干の一部を改修した。ひびが入った欄干はこのときの改修では交換されず、20-30年程度たっているとみられている。
(新潟日報:2008年4月10日)

●掘立柱建物群の遺構発見 菊川・宮ノ西遺跡

区画整理事業に伴って発掘調査が行われている菊川市加茂の宮ノ西遺跡で、掘立柱建物群の遺構が見つかった。8世紀から9世紀にかけて、建て替えなどを含めて計20棟以上があったと推測される。同市教委は「掘立柱建物の跡がまとまって出てきたのは、市内では初めて。当時の役所的な機能があったのではないか」と見ている。
底部に文字が書かれた「墨書土器」や全国各地の同様の遺跡で発見されることが多い「緑釉(りょくゆう)陶器」などが出てきたことも、役所跡の可能性を高める要因になっている。
(静岡新聞:2008年4月11日)

●森町文化財に指定 三倉八幡神社懸仏など

森町教育委員会はこのほど、「三倉八幡神社懸仏」(三倉)、「荒磯双鶴鏡」(向天方)、「赤根秋葉山常夜灯」(一宮)の3件を新たに町文化財に指定した。同町指定文化財は87件となった。
三倉八幡神社懸仏は、直径10.5㎝の鍛造製の鏡で、阿弥陀(あみだ)如来像が彫り込まれている。鏡面の彫り方に古体を残していることから、15世紀前半から16世紀半ばのものと考えられ、この地域の神仏習合時代を知る上で貴重な資料という。
荒磯双鶴鏡は天方神社の所蔵。直径20.4㎝の鏡の背面に松、波、岩が陽鋳されている。これに亀を加えたものを一般に「鳳来鏡」と呼んでいるが、そうした形式が確立する前の珍しい遺品という。鎌倉末期から南北朝時代の製造。
赤根秋葉山常夜灯は、高さ3.5m。明治2年に建てられた。町内に残る常夜灯としては非常に良好な状態という。
(静岡新聞:2008年4月11日)

●「武田信義館跡の可能性高まる」韮崎・武田東畑遺跡から遺物

韮崎市教委は、武田信義館跡の内部とされる武田東畑遺跡から、信義の時代(12世紀末-13世紀前半)に使われたとみられる青磁や水晶などを発見した、と発表した。甲斐武田の祖とされる信義の館跡は、これまで江戸時代の歴史書「甲斐国志」や地名、伝承をもとに推定されているが、遺物が出土したのは初めて。同教委は「信義の館が存在した可能性が高まった」としている。
(山梨日日新聞:2008年4月17日)

●南ア・ロタコの「掩体壕跡」 市指定文化財に

南アルプス市教委は、旧白根町内に残る戦争遺跡「ロタコ(御勅使河原飛行場)」の掩体壕(えんたいごう=飛行機格納庫)跡3基のうち、3号掩体壕跡(同市飯野)を市の指定文化財(記念物・史跡)に登録した。掩体壕の市レベル以上の文化財登録・指定は全国で6件目。
ロタコは第二次世界大戦末期、東京の立川航空廠(こうくうしょう)の兵力の秘匿と機能の分散を目的に、日本陸軍によって建設された。いくつかの掩体壕跡、滑走路跡、横穴壕(飛行機工場)跡の集まりで、東西約7.5㎞、南北約10㎞の御勅使川扇状地に点在している。
三号掩体壕は幅約21m、奥行き約16m。地表下約1.5mに及ぶコンクリートの基礎に木製の上屋がかかる構造だった。現存するのは基礎部分のみ。土に埋まり基礎の上部が確認できるだけとなっている。
(山梨日日新聞:2008年4月19日)

●善光寺仲見世通りから軒丸瓦出土 基礎石状の遺構も

長野市埋蔵文化財センターは、同市元善町の仲見世通りの工事立ち会い調査で、新たに建築物の基礎石状の遺構を確認したと発表した。同センターは「善光寺の創建にかかわる貴重な資料になるのでは」と期待している。
 仲見世通りの南北約130mの調査で、通りの南端西側で建物の基礎石と思われる遺構が見つかり、その下から百点を超える軒丸瓦や土器などが出土した。
(信濃毎日新聞:2008年4月19日)

●善光寺三門公開

 長野市の善光寺は、昨年12月に修復を終えた国重要文化財「三門(山門)」の内部を報道陣に公開した。寺事務局によると、一般公開は約40年ぶり。
  三門は江戸中期の寛延3年の建立。老朽化に伴い、2002年から耐震補強や屋根のふき替えなど大改修を加えた。工事中は史料館に移していた文殊菩薩や四天王像も2階の仏間に戻り、荘厳な雰囲気だ。
(信濃毎日新聞:2008年4月22日)

●蔵春院の釈迦如来坐像 県初、室町期、仏師集団作か

  伊豆の国市の大仁町史編さん委員会は、同市田京の曹洞宗「蔵春院」の本尊、釈迦如来坐像が室町時代に奈良を中心に活躍した仏師集団「宿院仏師」の作品である可能性が高いとする調査結果を発表した。
  宿院仏師は技巧を凝らした作風を得意とした椿井仏所の一派で、回顧的な作風を重んじ、彩色を施さずに細密に彫り込むのが特徴。作品の所在は京都、奈良に集中しているという。
  蔵春院の坐像は寄せ木造りで像高42.3㎝。着物の部分に鋭いのみの彫り跡が残り、ダイナミックな彫法。正統派仏師の作で、宿院仏師の源次や源三郎の作風に近い、としている。両手首はほかの仏像からの転用とみられ、肌が露出している部分は金泥が塗られている。旧大仁町に宿院仏師の作品が伝わった経緯は不明で、今後の研究課題という。
(静岡新聞:2008年5月8日)

●善光寺本堂に落書き 水ぶきなどで修復

 長野市の善光寺で、国宝の本堂の柱や板戸の計6カ所に落書きされているのを寺事務局職員が見つけ、長野中央署に届けた。落書きは白いスプレー状のものによる楕円形の模様で、最大で縦80㎝、横60㎝、最少で縦横各15㎝ほど。
 文化庁は表面を削らなくても塗料は落とせると判断、布によるからぶきなどの方法で除去するよう県教委に伝えた。善光寺は近く業者に依頼して落書きを取り除く。
  文化庁によると、塗料はアクリル樹脂製。調査官が落書きを確認した上で、塗料が付いた部分を布でからぶきするか、水を含ませたタオルでふく方法で除去し、それでも落ちなければ、薬剤で塗料を浮かせてふき取る方法を善光寺側に指導。
(信濃毎日新聞:2008年4月20日、5月13日)

●清水区出土、三角縁神獣鏡3D化

  京都国立博物館は、邪馬台国の女王・卑弥呼の鏡とも言われる三角縁神獣鏡の計測データを基に、鋳造当時の三次元(3D)画像を制作した。 
 1973年に清水市庵原地区(現静岡市清水区)の午王堂山3号墳で出土した神獣鏡を、村上隆・保存修理指導室長らがレーザー光線で表と裏両面の材質などを分析した。組成は銅75.6%、スズ21.2%などで、本来は黄色っぽい銀色と判明した。断面の最も薄い部分は0.6㎜。
(静岡新聞:2008年5月14日)

●遠江国分寺跡(磐田)の敷地東側、特別史跡に追加指定へ

  文化審議会(石沢良昭会長)は、磐田市の遠江国分寺跡の特別史跡追加指定を含む、史跡名勝天然記念物の新指定8件、追加指定等25件などを文部科学相に答申した。
  遠江国分寺跡は聖武天皇の詔を受け、奈良時代の8世紀後半ごろに建立されたとみられる。昭和26年に全国の国分寺跡として初めて大規模な発掘調査が行われ、南大門、中門、金堂、塔などの遺構から伽藍の配置などが明らかになった。翌年、約2万5000㎡が特別史跡の指定を受け、今回は敷地東側の約785㎡が追加された。
(静岡新聞:2008年5月17日)

●富士美術館が閉館 

富士宮市上条の富士美術館(小山満館長)は、12日付で閉館したことを発表した。今月2日に新館を開館して規模を拡大した姉妹館の東京富士美術館(東京都八王子市)に事業を統合する。
富士美術館は昭和48年5月に開館した。横山大観や鏑木清方ら巨匠の日本画や重要文化財の歌集「相模集」、重要美術品の「猛虎図」など、日本、東洋美術を中心に約1300点を所蔵している。所蔵品は7月までに東京富士美術館に移管する。
(静岡新聞:2008年5月20日)

●桑戸五大明王像 東京国立博物館で公開へ

笛吹市春日居町桑戸区が管理する県指定文化財「桑戸五大明王像」が、東京国立博物館に寄託されることになった。5体そろって現存するのは全国的に珍しく、博物館側から要請があった。地元の要望により寄託は3年間の限定。早ければ年内にも、日本彫刻の歴史を伝える作品として国の重要文化財が並ぶ本館「彫刻」のコーナーに展示する方向で協議が進んでいる。
(山梨日日新聞:2008年5月21日)

●大正期のワイン醸造 甲州市で記録フィルム見つかる

甲州市は、ワイン醸造所の遺構として知られる同市勝沼町下岩崎の「宮光園」から、大正期のブドウ栽培やワイン造りの様子が記録された35㎜映像フィルム6巻が発見され、修復作業が終了したと発表した。戦前のワイン醸造の映像が見つかったのは日本で初めてという。これまで文献でのみ記されていた、馬の背にブドウを乗せて運ぶ光景や、ワインの瓶詰めの様子が鮮明に映し出されている。関係者は「当時の産地・勝沼の様子を知り、後世に伝えていくことができる貴重な資料」としている。
(山梨日日新聞:2008年5月21日)

●“金唐和紙の祖”、故後藤清吉郎さん旧宅に資料館

 富士宮市と市民有志が協働し、「金唐和紙工芸」を発案するなど和紙工芸の発展に貢献した後藤清吉郎さんの資料館を開館する計画を進めている。終戦直前に同市に移住した後藤さんは、手すき和紙の県指定無形文化財保持者に認定され、地域の文化振興に多大な影響を及ぼした。その功績を後世に残そうと、後藤さんの工房兼住宅を「金唐和紙工芸発祥の地」として活用する。
 開館準備は市教委が中心となって進めているが、運営には市民の協力を呼び掛ける。市教委は来館者を案内する運営サポーターを募集している。資料館はボランティアの協力が得やすい土、日曜日に開館する方針。
(静岡新聞:2008年5月27日)

●愛宕町・石切場跡を文化財指定 甲府城築城の貴重な遺構

 甲府市教委は、甲府城築城に使った石を採掘した場所とされる同市愛宕町の「甲府城愛宕町石切場跡」を市の文化財に指定した。市文化財の指定は有形、無形合わせて74件目。
 市教委によると、遺跡は愛宕山南西のふもとに位置し、史跡指定範囲は約1685㎡。敷地内には甲府城の石垣に使われている石材と同じ輝石安山岩が露出している。城に近接した石切り場跡が良好な状態で残る事例は全国的にも珍しいという。
 文禄年間の浅野長政による築城時に同所から石を切り出したことが記された石碑が残っているほか、甲斐国志や諸国居城図など江戸時代の史料にも石切り場があったことが記されている。
 岩盤の数カ所には、石を切り出す時につけられる「矢穴」が確認できる。甲府城石垣にも見られるもので、3寸(約9㎝)の大きさであることから、江戸中期の城の補修法と一致し、同時期に石が切り出されたと考えられている。
(山梨日日新聞:2008年6月11日)

●甲府・天神山古墳 発掘〝解禁〟へ

 県内の前方後円墳の中で唯一発掘調査が行われていない甲府市下向山町の天神山古墳の地権者が発掘調査を受け入れる意向を示した。現時点で市教委などによる調査の予定はないが、県内で2番目に大きい古墳だけに、専門家は「古代の甲斐国の成立をひもとく重要な史料が眠っている可能性がある」と指摘している。
 県の資料によると、天神山古墳は全長132mで、県内の前方後円墳としては同じ中道地区の銚子塚古墳(全長百69m)に次ぐ大きさ。古代の甲斐国の首長の墓と考えられている。
(山梨日日新聞:2008年6月23日)

●寺本廃寺、跡全体を文化財に

笛吹市教委は、同市春日居町寺本の市指定文化財「寺本古代寺院(寺本廃寺)塔跡」の指定範囲を広げ、かつて土塀に囲まれていた寺跡全体(約1万4187㎡)を市史跡に追加指定した。史跡名称も「寺本廃寺塔跡」から「寺本古代寺院跡」に変更した。
 遺跡は、白鳳期(7世紀後半)に建てられた県内最古の寺院跡。これまでの調査で約130m四方の境内に金堂や三重塔が配置されていたことが確認され、瓦や仏像の一部なども多数出土している。従来の指定範囲は三重塔の土台部分のみで、現在寺院跡のほとんどは住宅地や農地となっている。
(山梨日日新聞:2008年6月25日)

●諏訪大社下社 国重文7棟の修復

 諏訪大社は、修復の方針を示していた下社春宮(諏訪郡下諏訪町)と秋宮(同)にある幣拝殿など国重要文化財の計7棟について、8月後半に着工すると発表した。いずれも江戸時代後期に建てられ、傷みが激しく、雨漏りのする屋根を中心に工事する。完成予定は2011年9月で、総工費は4億円。
 春宮と秋宮それぞれにある正面幣拝殿と左右の肩拝殿のほか、秋宮の神楽殿を修復する。春宮から取りかかり、屋根のほか、かびの生えている基礎の部分も通気性を良くするなどの作業をする。
拝殿の屋根は昭和30年代に檜皮をはぎ、より長持ちする銅板に替えたが、大社は檜皮葺きに戻すことを検討している。神楽殿はこけら葺きにする。
(信濃毎日新聞:2008年7月3日)

●八日堂を保存修理

 浜松市北区引佐町川名に600年以上受け継がれる国指定重要無形民俗文化財「川名ひよんどり」のお堂「川名ひよんどり八日堂」が国庫補助事業として保存修理されることになった。
 八日堂は1858年に建てられ、1954年に現在の場所へ移築された。50年以上が経過して老朽化が進み、毎年1月4日の祭礼の舞台芸能に支障を来していた。
 八日堂西隣に建つ「若衆宿」も修理され、ともに骨組みだけを残して屋根や縁などを解体。修理後は移築前の寄せ棟造りに戻し、屋根は現在の桟瓦からかやぶき型の金属板ぶきにする。一定の耐震補強も施すという。若衆宿は移築前にあった八日堂北東に場所を移す。
 県などによると、全国でも今回のような無形民俗文化財の施設を国の補助金で修復する例は珍しく、県内では平成11年度に行った「寺野ひよんどり」(同町)のお堂修理以来2件目だという。
(静岡新聞:2008年7月2日)

【北陸地区】

大井地域スタッフ

[ニュース]
●平安時代の石川郡庁か―白山の「東大寺領横江荘遺跡」

 白山市教育委員会は、平安時代の国指定史跡「東大寺領横江荘遺跡」で回廊状大型区画施設の遺構が見つかったと発表した。規模や造りから石川郡庁の可能性もあるという。 
 調査対象の水田跡を調査したところ、南北に幅約3.3m、長さ約45m、東西に約25mの回廊状掘立柱建築の柱列が見つかった。直径約20cmの柱を立てたと思われる47個の穴跡のうち、5ヶ所に柱根が残っていた。以前の調査とあわせて推測すると遺構の規模は推定約54m四方の建物跡となり、国内で過去に発見された郡庁跡と同規模であるが、郡庁を示すような遺物は出土しておらず、特定には至っていない。市教委は「県内に郡庁跡はまだ発見されておらず、来年度以降に調査を進めたい」としている。
(北陸中日新聞:2008年5月3日)

●金沢神社 こま犬を修復

 前田家ゆかりの金沢神社(金沢市兼六町)の本殿に座る、寄せ木造りのこま犬一対の修復が進められている。ほこりを取り除いた表面からは、190年近く前の彫が現れた。こま犬は1823(文政6)年、12代藩主前田斉広に仕える御側御用人大地縫殿左衛門らが奉献したと台座に記されている。台座を含めて高さ約1mほどのこま犬は、彩色がはげ落ち、寄せ木の亀裂も目立つ。同神社の厚見正充宮司が、県文化財保存修復工房会員である荒木宏さん、谷真澄さんの二人に依頼し、先月より修復が始まった。表面のほこりを落とした後は、腹や目の周りなどの一部を除いて塗料をはがし、砥の粉を落として木地をあらわにする。彩色はせずに欠けや亀裂を埋め、台座の修復に取りかかる。年内には藩政期の姿がよみがえる予定。
(北國新聞:2008年5月4日)

●金沢、鳥取で出土の弥生期の高杯―製法に類似点

 金沢市の西念・南新保遺跡から出土した木製高杯が、鳥取市青谷上寺地遺跡の出土品と近似していることを、大阪府立狭山池博物館の工楽善通館長が確認した。高杯は儀式の際に供物を載せる器として使われた。金沢と鳥取の両高杯は大きさや加工法、デザインが極めて似ており、裏に精巧な六葉の花弁模様が彫られている点も共通し、「よほど密な工人の交流が無いと生まれない」という。石川県内ではこの他2ヶ所の遺跡からも同様のものが発見されているが、全国的には例が少ない。従来、弥生時代の技術者交流を裏付けるのは難しいとされてきたが、ここからは「たくみの腕を持った工人の動きが十分に推察できる」という。
(北國新聞:2008年5月10日)

●高松の町家 保存継承へ調査開始

 石川県旧高松町(現かほく市)に残る戦前の町家の保存継承を進めるため、金沢学院大学美術文化学部文化財学科2年の寺口学さんが現地で住民への聴き取り調査などに乗り出した。計画では、旧高松町の中心部に100軒以上あるとされる町家全てを調査の対象とする。格子戸や吹き抜けなどの特徴を記録すると共に、居住者から建築年代や快適性などを聴き、結果は市教委に提供する。旧高松町は、藩政期に能登街道の宿場町として栄え、最盛期には200軒近くの家が並んだが、大部分の町家は1869(明治2)年の大火で焼失し、その後建て直された。戦前は藩政期の面影をとどめていたが、戦後は建て替えなどで町家が減少し景観が急速に変化している。
(北國新聞:2008年5月11日)

●金沢城跡 国史跡に

 文化審議会は16日、金沢城跡(金沢市)、珠洲陶器窯跡(珠洲市・能登町)など8件を国史跡に指定するよう渡海紀三朗文部科学相に答申した。石川県では他に、国登録記念物として末浄水場の園地(金沢市)の選定も答申した。指定されるのは金沢城公園の約27.5ヘクタールで、石垣などが良好な状態で残り、大名の政治権力や築城技術を知る上で重要な城跡とされた。珠洲陶器窯跡は約3ヘクタールに窯跡約40基が点在し、窯は12世紀後半から15世紀末頃まであった。この地域の生活などを知る上で貴重な遺跡とされる。末浄水場の園地約7.8へクタールは、1930(昭和5)年に金沢市最初の浄水施設として設置。噴水などの造形意匠が特徴で、造園文化の発展に寄与したと評価された。
(北陸中日新聞:2008年5月17日)

●「とも旗」の主役神輿 美川仏壇の技で再生

 石川県鳳珠郡能登町小木港で毎年5月に行われる、県指定民俗文化財「小木とも旗祭り」の主役である神輿が、美川仏壇の技で初めて大修復される。神輿は総漆塗りに金箔が施され、精巧な木彫、金具など絢爛豪華な造りで代々氏子が誇りにしてきた。近年、担ぎ棒のねじれや表面の傷などが目立つようになり、高い技術を評価される美川仏壇に修復を依頼した。能登半島地震で神社が被害を受け、鳥居などの修理を優先させたことから、1年遅れの依頼となった。神輿は100年以上前に七尾で造られたといわれるが、詳しい由来は分かっておらず、今回の修復で由来を示すものが見つかるのではないかと期待されている。
(北國新聞:2008年5月17日)

●大堰神社拝殿を加賀市文化財に

 加賀市教育委員会は20日、同市山代温泉の大堰神社拝殿を「意匠に優れた貴重な建築物」として市文化財に指定した。拝殿は1826(文政9)年、同温泉の服部神社境内に神楽殿として建設された。1940(昭和15)年に現在の場所へ移築、拝殿に転用された神楽殿は珍しいという。入母屋造りの屋根はひさしが約2mも張り出した重厚な構造。内部は小組折上格天井と呼ばれる手の込んだ造りになっており、欄干の擬宝珠は明治末期に奉納された九谷焼製で、現在は取り外して保管されている。地元有志が修復のための委員会を設立して寄付を募り、2004年に修復に着手、2006年4月に本殿の復元を終えていた。
(北陸中日新聞:2008年5月21日)

●勝興寺 明治期の台所改築跡公開

 平成10年から20年計画で解体修理作業が行われている、国重要文化財勝興寺(高岡市伏木古国府)は23日、新たに見つかった台所の大掛かりな改装跡を報道陣に公開した。台所は僧侶や門徒らの食堂として使われ、高さ15m。解体修理中の大広間や書院など7棟の中で最も大きい。解体中に屋根の下約4mのところから、傾斜の緩い江戸時代の屋根跡が見つかった。板に石を置いただけの石置き屋根と見られ、その上部に明治に入って増築した柱があり、明治以降に西洋からもたらされた丸くぎが使われている。明治の屋根の高さに復元するか、江戸の姿に戻すか、他の建物を含めて今後検討する。解体は来年で終わり、その後復元に入る。
(北日本新聞:2008年5月24日)

●瑞龍寺の「鎮守堂」か 隣接地で遺構発見

 高岡市関本町の国宝・瑞龍寺に隣接する農地で、寺の敷地内にあった「鎮守堂」とみられる遺構が、同市教委の28日までの調査で見つかった。市教委は本格調査も検討しているが、現場では開発が計画されている。鎮守堂は江戸時代前期に建てられたとされ、瑞龍寺は1661(万治4)年の「旧鎮守堂勧請札」を所蔵している。江戸時代後期の文献「瑞龍寺閣記」には、玉垣が四方にめぐらされ、鳥居があったと記述されるが、明治維新後の神仏分離で別の場所に移された。江戸時代の地図には、総門の北側に鎮守堂があったことが示されており、今回の遺構が見つかった場所と一致する。遺構が見つかった場所は、瑞龍寺の旧境内として市の遺跡地区になっており、開発の相談を受けた市教委が、埋蔵文化財の試掘調査を行っていた。
(富山新聞:2008年5月29日)

●兼六園 三芳庵別荘取り壊しへ

 皇太子時代の大正天皇や作家芥川龍之介らが利用した、兼六園の「三芳庵」別荘が、今月取り壊されることになった。建物の老朽化で改修や移築のめどが立たないといいう。文豪の交友など多くの歴史を刻んできた場所だけに、関係者からは取り壊しを惜しむ声が上がっている。別荘は木造平屋建て数奇屋造りで約182㎡。建築年代は定かではないが、加賀藩11代藩主前田治脩が園内に建てた庵が前身とされ、1871(明治4)年に杉本鵬太郎が初代庵主に入った際には、現在の建物だったという。別荘は改築を重ねてきたが、建物が老朽化した上、能登半島地震、新潟県中越沖地震などで土台が傷んだため、取り壊しが決まった。跡地は国に返却され、県が生垣などを整備する予定。
(北國新聞:2008年6月1日)

●動橋の「歴史」修復

 昨年3月の能登半島地震で倒壊した、石川県加賀市動橋町の大正時代の道標が2日までに修復され、同市動橋地区会館に移設された。動橋町は旧北国街道の交通の要所で、宿場町の名残を残すこの道標は町のシンボル的存在であり、保存を望む住民の働き掛けにより実現した。跡地には今月中に復元道標を立てる。石柱の道標は高さ約2.5mで、側面に「大聖寺へ貮里参町参拾七間」などと彫られ、同市大聖寺地区や金沢市、福井県境までの距離が記されている。地震の際に根元付近で折れ、先月28日に地区会館中庭に移設されるまで放置されていた。
(北國新聞:2008年6月3日)

●金沢の町家を次代に残そう―民間活動の輪広がる

 金沢市内に残る伝統的な「金澤町家」を保存しようと、物件情報や活用例を発信する民間の活動の輪が広がってきた。建築デザインなどを手掛ける「E.N.N」(金沢市)の不動産事業「金沢R不動産」のホームページには、「金澤町家」の物件が写真を織り交ぜて紹介されており、県外からの問い合わせも多い。市内の建築士や金沢21世紀美術館の学芸員らで作るNPO「CAAK(カーク)」は自ら町家活用を実践しようと、4月に同市寺町にある築80年の町家に拠点を移した。金沢の街を舞台に、現代美術を体験してもらう展覧会「金沢アートプラットホーム」(10~12月)の一環で、町家を改修して地域のNPOなどに貸し出す事業の準備も進めている。市も本年度から町家の実態調査に乗り出す。店舗や宿泊施設に使いたい希望者を募り、「モデル町家」を作ってPRする事業にも取り組む方針だ。背景には「金澤町家」が急速に姿を消している現状がある。民間活動と行政の事業の相乗効果にも期待が高まっている。
(北陸中日新聞:2008年6月6日)

●七尾・印鑰神社 震災被害で鳥居損傷判明

 七尾市府中町の印鑰(いんにゃく)神社の鳥居が損傷し、崩れそうになっていることが確認された。同神社は能登半島地震で被害を受けた本殿と拝殿の復旧が終わったばかり。17日から再び修復工事に取り組む。
同神社は5月の青柏祭の曳山行事(国指定無形民俗文化財)の出発点になっており、4月末までに震災の修復工事を終えたが、「でか山」の組み立て作業中に、鳥居の柱を固定する貫に震災の影響で隙間ができ、今にも落ちそうになっていることが分かった。鳥居は高さ約5mで1912(大正元)年に建立された。貫と柱に大きな隙間があり、修復作業では貫を新調する。
(北國新聞:2008年6月17日)

●末松廃寺は「朱仏寺」か―出土の須恵器に墨書

 野々市町末松2丁目の国指定史跡「末松廃寺跡」から発掘された須恵器に、墨書で「朱仏寺」と書かれていたことが、16日、野々市町教委などの調査で分かった。「朱仏寺」はこれまで定かでなかった同寺の名称である可能性が大きいという。昭和36(1961)年に同寺の周辺から「和同開珎銀銭」が発見され、昭和40年代に国によって発掘調査が進められた結果、土器や瓦などが多数出土した。出土品は長年保管されていたが、平成18(2006)年度から3ヵ年計画で、文化庁による発掘調査報告書の作成事業が始まり、今回の発見に至った。町教委はさらに調査を進め、規模や建立の背景など不明な点の多い同寺の全容解明を目指す考えである。
(北國新聞:2008年6月17日)

●国有形文化財に赤倉家住宅主屋を答申

 文化審議会が20日に答申した登録有形文化財に、県内から七尾市魚町の赤倉家住宅主屋が盛り込まれた。赤倉家住宅主屋は木造二階建て、明治後期に建てられ、昭和35(1960)年頃まで金物屋だった。棟と並行する玄関側に屋根が張り出しているのが特徴で「平入町家」と呼ばれている。一階屋根と二階屋根の間には、張り出すように設置された小さい防火壁「袖卯建(そでうだつ)」が施され、伝統的な町家の構えを残している。
(北陸中日新聞:2008年6月21日)

●手水鉢お宝だった?―最古級の「宝篋印塔」

尾山神社(金沢市)の境内にある手水鉢が、鎌倉時代中期に作られた国内最古級の宝篋(ほうきょう)印塔の一部だったことが分かった。宝篋印塔は供養塔などとして使われる仏塔の一種で、五輪塔と並ぶ代表的な中世の石塔。鉢は境内の庭にあり、幅54cm、奥行き49.5cm、高さ56cmで、四面に仏像、四隅に鳥が彫られている。全国の石塔を調べる奈良県郡山市教育委員会の山川均さんが3年ほど前に調査。中国から日本に伝わった鎌倉時代初めの様式と考えられ、1230年代に京都の花崗岩から作られた宝篋印塔の塔身部分だろう、としている。同様の形の塔身は国内に3例あり、京都の北村美術館が所蔵するものは国の重要文化財、もう一点は京都の清水寺にある。尾山神社の宝物目録によると、鉢は最後の藩主前田慶寧が三代藩主利常の遺愛品として寄贈。清水寺にあった石を千利休が手水鉢として愛用し、その後前田利常に渡ったという説もある。
(北陸中日新聞:2008年6月26日)

●七尾城跡 石垣修復9月完了

 昨年の能登半島地震で崩落した国指定史跡・七尾城跡の石垣が、9月上旬に修復を終える見通しであることが26日の同石垣修復委員会で報告された。城跡は昨年10月の豪雨でも18ヶ所で土砂崩れし、一時は修復のめどが立たない状況となっていた。26日、委員ら約20人が、幅約7.8m、高さ3.7mに渡り石垣が崩落した七尾城跡の桜馬場最下段石垣を視察。栗石と土を交ぜ、石垣を内側から支える裏込にするなど、地震で崩落する前の姿に戻すことを第一に石の積み直し作業を進めることを確認した。城跡修復は文化庁から補助金を得て、今年4月に着工、夏休みまでの完工を目指していた。しかしその後豪雨で本丸跡の土塁が崩れるなどの被害が発生。市は9月に行われる予定の、能登畠山家が守護となって600年の節目を祝う一連の記念行事に間に合わせたいと協議を重ねていた。
(北國新聞:2008年6月27日)

●匠の技を結集 修理工房稼動

 富山県高岡市の高岡地域地場産業センターに文化財修理工房が整備され、27日稼動した。重要民俗文化財の高岡御車山をはじめ、全国の祭屋台の修復を手掛ける予定で、高岡の匠の技を生かした地場産業につなげる。修理工房では金工、漆工、木工、繊維の職人で作る「高岡地域文化財等修理協会」のメンバーが修復に当たる。この日は、高岡御車山7基のうち二番町の山車の車輪2基が運び込まれた。
(北國新聞:2008年6月28日)

【東海・関西地区】

田村地域スタッフ

[ニュース]
●<ひこにゃん>すごいぞ!彦根城入場者が6割アップ 観光客は10年で最多

彦根城の昨年度の入場者が84万9056人に達し、前年度比61%増と大幅に伸びたことが彦根市観光振興課の集計で分かった。井伊直弼の生涯を描いたNHKの大河ドラマ「花の生涯」の放映翌年の64年度の約121万人に次ぐ多さで、同課は「国宝・彦根城築城400年祭」とキャラクター「ひこにゃん」人気の効果が大きいと分析している。
(毎日新聞:2008年4月15日)

●三重県中部地震:震災1年 県史跡・亀山城の崩れた石垣、どう修復

震度5強を記録した三重県中部地震から、4月15日で1年を迎えた。地震で崩落した同県亀山市の県史跡・亀山城多門櫓の石垣は今も崩れたまま。
石垣は、北西隅で高さ4.5m、幅2mにわたって崩れた。71年の台風で崩れ翌年修復した場所だ。市教委が当時の修復を調べたところ、被害を受けた石垣の高さは71年以前は1m程度で、上部は土塁だった可能性が出てきた。修復時に元より高く石積みし、石段も新たに付けたとみられる。このため「どのような姿に戻すか」が課題となった。
石垣はシートをかぶった状態で地震から1年を迎えた。現在の見込みでは「一般公開は最短で2010年3月くらいになる」と市教委。県教委社会教育・文化財保護室は「文化財としてあるべき方向を検討したい」と話している。
(毎日新聞:2008年4月15日)

●こんなところに「竜」の顔! 伊勢・松尾観音寺の床

 本堂裏の2つの池に雄竜と雌竜が住み、観音様を守っていると伝えられる、伊勢市楠部町の松尾観音寺本堂のろうそく台前の床に「竜」に見える模様が現れ、聞きつけた人たちが御利益に預かろうと県内外から訪れている。
竜は、一昨年11月、木造隆誠住職の仏前結婚式前日に、参拝者の男性が見つけた。本堂は総ケヤキ造りで、節や木目が竜の顔や尾のように見える。5年前に床を張り替えた大工も驚いているという。
参拝者が磨くうちに、模様は次第に濃くなり、「お床磨きの竜」「触ると幸せになれる竜」などと呼ばれている。
(中日新聞:2008年5月13日)

●万葉歌木簡:考古学ファンら見入る

紫香楽宮跡とされる宮町遺跡(甲賀市信楽町宮町)で発見された「歌木簡」の特別展示が5月26日~30日にかけて、同町の宮町多目的集会施設で開催された。全国で初めて出土した万葉歌を記した歌木簡を目にした考古学ファンらが驚きの声を上げ、熱心に見入っていた。
歌木簡は97年、宮殿の排水路と推定される溝から出土。日本最古の歌集である万葉集に収録された「安積山(あさかやま)の歌」と、もう一つの面に「難波津の歌」が記されている。
(毎日新聞:2008年5月27日)

●岐阜公園で人工的な石組み発掘 信長居館跡との関連調査

 戦国武将、織田信長の居館跡の発見を目指して岐阜市教育委員会が調査している岐阜公園の発掘現場から人工的に積み上げられた石組み遺構が見つかった。土の層は比較的新しく石組みは昭和にあった登山道の一部の可能性が高い。一方、遺構の近くに粘土を敷いた戦国時代の平たん面も出土した。市教委は居館跡のかかわりを含めて調べている。
(中日新聞:2008年5月29日)

●大文字送り火、松の確保ピンチ 虫害が拡大、被害木の活用も

 「五山送り火」の一つ、京都市左京区の大文字を担当するNPO法人「大文字保存会」が、送り火に使う松の確保に苦心している。大文字山で数年前から、害虫による松枯れ被害が拡大しているからだ。成長していない木まで切って使わなければならない状況に危機感を抱き、被害木の一部を工夫して活用するなど新たな取り組みを始めた。保存会は「40年、50年先を見据えて山を守っていきたい」としている。
(京都新聞:2008年6月2日)

●御城番屋敷を大改修 外観そのまま

 紀州藩が江戸時代末期に建造した松阪市殿町の国重要文化財「御城番屋敷」が、今夏から国などの補助金を受けて初の大規模な改修工事に入る。長屋状の屋敷には現在も藩士の子孫ら17世帯が住んでおり、住環境と文化財保護の両立を実現する「平成の大改修」を目指す。
御城番屋敷は東西2棟の主屋と土蔵、前庭などからなり、長さ90mの東棟に10戸、83mの西棟に9戸が連なっている。当時の長屋形式の住居としては全国最大級で、2004年12月に国重文に指定された。
(中日新聞:2008年6月4日)

●陶工遊び心の「エブタ」出土 明治初期の窯道具

 ユーモラスな人の顔が彫られた窯道具「エブタ」が、岡崎市滝町の登り窯跡「滝町古窯」で見つかった。一緒に出土した陶磁器片などから明治初期のものとみられ、関係者は「当時の陶工の筆致や遊び心が分かる貴重な史料」と注目している。
エブタは土製で、陶磁器を焼く際に製品を保護するために使った「エンゴロ」と呼ばれる容器のふた。人の顔のエブタは、直径12.5㎝、厚さ1.8㎝の円形。大きな鼻が特徴で、切れ長の目でほほ笑んでいるように見える。
(中日新聞:2008年6月15日)

●文化審答申:信楽高原鉄道・大戸川橋梁を国登録有形文化財に

国の文化審議会は、甲賀市信楽町勅旨の「信楽高原鉄道第一大戸川橋梁」を登録有形文化財(建造物)に指定するよう文部科学大臣に答申した。認められれば、県内の登録有形文化財は253件となる。
県教委によると、同橋梁はI字形の橋げたを4基並べた上に単線のレールを敷いた鉄道橋で、長さ31m、幅4m。1954(昭和29)年8月、旧国鉄
信楽線の玉桂寺前駅北側に建設された。
(毎日新聞:2008年6月22日)

田川地域スタッフ

[ニュース]
●南門からの眺め復活-覆屋撤去進む『唐招提寺』

平成12年に金堂の解体修理が行われていた、奈良市の唐招提寺で、南門から仰ぐ金堂の景観が復活した。9月には仏像を堂内に戻す作業が始まる予定だ。現在、覆い屋のコンクリート基礎を分割する作業が行われており、夏ごろにはすべて撤去できるという。
(奈良新聞:2008年5月28日)

●半世紀の歩み、冊子に 3月休館の琵琶湖文化館

琵琶湖文化館(大津市)は、冊子「琵琶湖文化館のあゆみ-滋賀県博物館史事始め」を作成した。構想から開館、今年3月末に休館するまでの半世紀に及ぶ文化館の歴史を通じ、地域博物館として果たしてきた役割を振り返る。 県内初の公立博物館の姿を知らせる資料として、入館者の推移や建設費寄付者名簿、近年の文化財公開実績、特別展の出品目録などデータも付した。
(京都新聞:2008年6月6日)

●法善寺の水掛け不動石像修復

 「水掛け不動」として親しまれている石像の1体が壊された大阪市中央区難波の法善寺で、石像が修復され元の台座に安置された。8日午後に開眼式が開かれる。
石像は3日朝、腰から上が地面に落下し首や腕の部分が壊れているのが見つかった。大阪府警南署が器物損壊事件として捜査している。
(共同通信:2008年6月7日)

●伊勢の五輪塔、叡尊の弟子の作か

 三重県伊勢市にある仏塔の一種「楠部五輪塔」が、奈良の西大寺を復興した高僧叡尊の弟子が鎌倉時代に造ったとみられることが松尾剛次山形大教授(日本宗教史)の調査で分かった。鎌倉時代の律宗の五輪塔では最大級(高さ3.4m)であることも判明、叡尊を祭った可能性もあるという。
 楠部五輪塔はこれまで15世紀末の制作とされ、廃寺となった律宗寺院「弘正寺」にあったため注目されてこなかった。
(共同通信:2008年6月7日)

●黄金の仏像の手出土 明日香村の檜隈寺跡

 奈良県明日香村の檜隈寺跡で、7世紀後半-8世紀に作られたとみられる金銅製の仏像の右手が見つかり、村教育委員会が発表した。 手首から指先までで、長さ2.3㎝、幅1㎝。手のひらなどに金メッキが非常に良く残っており、1300年前の輝きがうかがえる。発色の良さが同時期の中国や朝鮮半島のものと似ているため、舶来品の可能性があるという。
(共同通信:2008年6月10日)

●修理中社殿から骨蔵器-奈良時代の高僧?

 桜井市多武峰の談山神社で、修理中の社殿から骨蔵器が見つかった。火葬された骨が入っており、土器の形式などから奈良時代に亡くなった人物とみられている。同神社は飛鳥時代後半(7世紀後)に妙楽寺として創建されたが、伽藍が整う平安時代以前の様子はよく分かっておらず、空白に光を当てる資料となりそうだ。 壺形の土器は高さ約9.5㎝。市立埋蔵文化財センターによると、8世紀末―9世紀初頭の形式だった。もう一つの土器は5世紀中ごろの祭器とみられ、上部が割れて土が詰まっていた。国内初の火葬が行われたのは文武4(700)年で、5世紀に火葬の習慣はなかったことから、壺形の土器が作られた奈良時代末ごろに遺骨が納められたらしい。地中から掘り出した後、権殿に仕舞ったとみられる。
(奈良新聞:2008年6月13日)

●西寿寺『阿弥陀六地蔵十羅刹女像』修復完了

 西寿寺(右京区鳴滝泉谷町)の仏画「阿弥陀六地蔵十羅刹女像」の修理が完了した。金色の仏が神々しくよみがえり、調査の結果、銀を用いて工芸品のような塗りが行われていたことも分かった。 鎌倉後期の1307(徳治2)年に、如教という僧の夢を描いたことが表に張られた紙に記されている。修理した岡墨光堂が赤外線撮影を行ったところ、ハスの茎の部分に黒い影があり、銀が使われた可能性があることが初めて分かったという。
(京都新聞:2008年6月20日)

●登録有形文化財答申 京滋から20件

 文化審議会は、170件を国の登録有形文化財(建造物)とするように答申した。京都からは、京都芸術センター(旧明倫小、京都市中京区)など5カ所19件、滋賀は1件が答申された。これで、全国の登録有形文化財(建造物)は7179件となる。
 旧明倫小は1869(明治2)年に創設、現在の建物は1931(昭和6)年に完成。旧本館の屋根はスペイン瓦葺き。外壁に粒子を浮き立たせる人造石洗い出し技法を用いる。正門柱は各角に柱形を作り出し、当時流行の造形を取り入れている。呉服問屋街にあり、各戸からの寄付により、近代的で充実した校舎を実現したという。
(京都新聞:2008年6月21日)

●不比等あての木簡か 藤原京、右大臣示す

 奈良県橿原市の藤原京跡で出土した木簡に、右大臣を示す「右大殿」と書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査で分かった。出土状況から、大宝律令の編さんや平城京遷都を進めた藤原不比等を示す可能性が高いという。 木簡は縦24.1㎝、横2.5㎝。1979年9月-80年3月に、中枢部の藤原宮の北東にある門の外の溝で見つかった。最近の赤外線写真の分析で「右大殿荷八」と記されていることが判明した。
(共同通信:2008年6月23日)

●金戒光明寺 お堂修復終わる

 金戒光明寺(京都市左京区)の阿弥陀堂の修復がこのほど終わった。
 南北、東西ともに15m、高さ13m。応仁の乱で焼かれ、1605年に豊臣秀頼が方広寺大仏殿の余財で再建したと伝わる。境内で最も古い建物。
 お堂には胎内にのみが納められているといわれる本尊・阿弥陀如来像が安置。
(京都新聞:2008年6月26日)

●半年の汚れ、高瀬川で清め 下京・市比売神社の『ひとがた流し』

 人の形をした紙に健康を託し、川に流す神事「ひとがた流し」が30日夜、京都市下京区の市比売神社近くの高瀬川であった。氏子が扇子に乗せた人型を橋の上から流れに投げ込んだ。
(京都新聞:2008年6月30日)

●足の木目で“年齢”を解明 栗東・善勝寺の千手観音立像

 滋賀県栗東市御園の善勝寺の本尊・木造千手観音立像(重文)の制作時期が、栗東歴史民俗博物館と奈良文化財研究所の年輪年代測定調査で1010-20年代と判明した。美術史の様式から10世紀末-11世紀初頭と推定されていた。同博物館の佐々木進館長が、立像の両足内側部分の木目に注目し、分析で、919年の年輪であることが分かった。さらに立像本体と台座の木目の特徴が一致し、台座から辺材を確認でき、1011年から20年ごろに伐採されたと推定された。
(京都新聞:2008年7月1日)

●達磨大師像は最古級 大津の寺院で発見

 南北朝時代の作とみられる「木造達磨大師座像」が、大津市歴史博物館の調査で見つかった。大津市内の寺院に安置されていた。同時代までの達磨大師像は国内で数例しか確認されていない。高さ43㎝の寄木造り。 達磨大師座像は、13日から同博物館で開かれる企画展「石山寺と湖南の仏像-近江と南都を結ぶ仏の道」で初公開される。公開は今回のみで、寺院では拝観できない。
(京都新聞:2008年7月3日)

●祇園祭の船鉾で『神面改め』

 祇園祭の山鉾の1つ、船鉾の吉符入りに合わせた儀式「神面改め」が、船鉾町会所(京都市下京区)であった。 室町時代中期に作られた本面、江戸時代の写し面を木箱から取り出し、船鉾保存会らに見せた。面に変わりないことを確認すると、再び木箱にしまって祭壇に供えた。 山鉾巡行で、神体・神功皇后像に写し面を付け、本面は役員が持って鉾に上がる。
(京都新聞:2008年7月3日)

●南大門復興へ起工式 22年3月完成目指す

 奈良市菅原町の喜光寺(山田法胤住職)で、南大門復興の起工式が行われた。平城遷都1300年に合わせた平成22年3月の完成を目指している。
(奈良新聞:2008年7月7日)

橋本地域スタッフ

[ニュース]
●発掘調査の21人解雇暫定税率切れの影響

 高知県埋蔵文化財センターが雇用した道路整備に伴う遺跡調査の作業員21人が道路特定財源の暫定税率期限切れの影響で解雇されていたことが分かった。労働基準法では少なくとも解雇の30日前に予告しなければならず、高知労働基準監督署は経緯を調べている。
(産経新聞:2008年4月10日)

●名手宿本陣で地域振興

 和歌山県紀ノ川市は国の史跡に指定されている名手市場の名手宿本陣とその周辺の街並みの整備に取りかかる。名手宿本陣は中世からの名家妹背家の住宅と江戸時代の「郡役所」の跡を合わせた敷地。近年、妹背家住宅の瓦や土壁などの損傷が激しくなってきたことから住宅を修復するとともに本陣周辺の伝統的な家屋も積極的に保存していくことで地域振興に繋げようと、今年度中に保存整備を策定する。
(わかやま新報:2008年4月12日)

●広村堤防150年目の改修

 和歌山県広川町の国史跡「広村堤防」は、同町が進めていた改修工事が完了した。昭和30年代に整備されたコンクリート壁の老朽化が目立ったため、06年から改修工事を開始。高さ5mの堤防ののり面のコンクリート壁を除いて、土壁のヨモギなどの植生をほどこし、堤防の最上部にウバメガシを植林した。同堤防は安政元年に完成。築かれた当初は土壁だった。
(朝日新聞:2008年4月22日)

●京都に「職人バンク」

 京都府は、府内の職人を集め先祖代々伝わる各地の仏壇や陶磁器、人形などの修理を請け負う「京都伝統工芸修理ネットワーク」を今夏にも設けると発表。様々な技術を持つ職人や企業を募集、修理希望者がネットワークに登録した職人の紹介を受ける。「修理市場」を開拓することで、府は技術継承や後継者育成を進めたい考え。
(朝日新聞:2008年4月26日)

●橋下改革に二千年の壁

 大阪府の橋下知事が直轄の改革プロジェクトチームがまとめた「財政再建プログラム試案」で施設売却方針が示されている府立弥生博物館(和泉市)の敷地に、弥生時代の大型首長墓が埋まっていることが明らかになった。隣接する国指定史跡・池上曽根遺跡の関連遺跡として追加指定される可能性があり、売却は事実上不可能だという。
(産経新聞:2008年5月1日)

●浜田青陵が見た投入堂

 近代考古学の先駆者浜田青陵が100年前、国宝「投入堂」で知られる鳥取県三朝の三徳山三仏寺を訪れた時の紀行文が見つかった。神奈川県の収集家が寺に寄贈したもので、1980年の大阪朝日新聞に掲載された原稿、紙面に載らなかった投入堂のスケッチもあった。
(朝日新聞:2008年5月23日)

●和歌浦天満宮の屋根修理進む

 和歌山市和歌浦の和歌浦天満宮で本殿の屋根の葺き替え工事が32年ぶりに行われている。屋根は約200㎡あり、使用する高野山や河内長野産の檜皮は約3万枚、葺き替え終了後は屋根の棟飾りの修理と地盤沈下のために傾いた末社多賀神社の修理にとりかかる。
(わかやま新報:2008年6月6日)

●高松塚の「技」カンボジアで

 高松塚古墳の石室解体に取り組んだ奈良文化財研究所と建設関係会社2社がカンボジアにある「アンコール遺跡群」で崩壊の危機にある寺院の保存に乗り出す。建設会社2社はクレーン車2台と高所作業車1台を提供。
(朝日新聞:2008年6月10日)

●絵を痛めずイタリアで名画修復

 情報通信研究所はイタリアの国立の応用物理研究所と協力して西洋古典絵画の修復に乗り出す。西洋古典絵画には何層もの修復履歴があり、絵の具などが混合していることが多い。従来の分析手法では、混ざった材料の判別が難しく材料の1部を採取して調べる必要があった。同機構が開発した装置は「テラヘルツ」と呼ばれる特殊な光を照射し絵の具などの特徴を判別することができる。12月にもフィレンツェの美術館に収蔵されているルネサンス初期の作品の修復を始める予定。
(日本経済新聞:2008年6月25日)

●牛馬童子壊される

 和歌山県田辺市中辺路町の熊野古道沿いにある市指定文化財石造「牛馬童子」の首から上が切断されているのが見つかった。像がある場所は世界遺産登録地にあたる。牛馬2頭に童子がまたがった「花山法王」とされ1891年頃につくられた作者は不明。熊野古道のシンボルとされ観光ポスターやガイドブックでもよく使われている。盗難防止のためレプリカを置き実物は保管していたが、近年土台をコンクリートで固定した。
(紀伊民報他:2008年6月20日)

●祇園の山鉾を一斉計量

 祇園祭山鉾連合会は7月12日の巡行で32基すべての山鉾の重さを量ると発表した。ユネスコの世界無形遺産の登録準備の一環といちづけ、修理の基礎資料としても活用する。山鉾は1,2~12トンとされるが、主な部品の重さなどから推計した重さだった。今回は、トラックなどを量る車重量計を巡行行路の河原町通に置き囃子方や道具などすべて乗せた状態で計量する。
(朝日新聞:2008年6月25日)

●大阪市7博物館独法化

 大阪市は構造改革特区制度を使って市の博物館7施設を地方独立行政法人として一括運営できるよう国に対し提案すると発表。市は大阪城天守閣など市立博物館7施設を所有。このうち天守閣など5施設は指定管理者制度で、2施設は直営で運営している。市は直営ではコストがかさみ、指定制度では契約期間が2年と短いため継続的な調査・研究などが難しいとしている。
(日本経済新聞:2008年6月28日)

【中国・四国地区】

高木秀明地域スタッフ

[ニュース]
●ゴッホ絵画で迷い猫

 同じ題名がついたゴッホの2枚の作品「ドービニーの庭」。スイスのバーゼル美術館のある絵には描かれた黒猫が広島市中区にあるひろしま美術館所蔵の絵にはいないのはなぜか。吉備国際大学文化財総合研究センター(岡山県高梁市)が15日美術館の調査に協力、放射線を使った分析を始めた。1890年、自殺の2週間前に、尊敬する画家ドービニーの庭を描いた。広島の絵には、青っぽい黒猫がいなく、同じ位置に加筆して茶色く塗りつぶしたような跡がある。美術愛好家の間では1920年代から猫はいたがゴッホまたは第三者が塗りつぶしたという説と、最初から猫はいなかったという説との論争がある。15日、同大学院の下山進教授が低レベル放射線を照射して絵の具の組成を調べると、問題の部分に青色の絵の具の成分となる鉄の元素が含まれていた。詳細に分析を進めるという。結果は10月4日に始まる同美術館の展覧会で発表する予定。
(朝日新聞:2008年6月16日)

●入館料猛暑は割引

 明治時代から現代までの招き猫約700点を展示している「招き猫美術館」(岡山市金山寺)は「猛暑割引」というユニークな割引サービスを実施している。サービスの仕組みは、午前5時に岡山地方気象台が発表する岡山市の予想最高気温が35度以上になると、その日の入館料を35%割り引くというもの。通常は一般500円、小中学生300円の入館料が一般325円、小中学生195円になる。昨年から始めたが該当日が15日あり、来館者782人が割引を受け好評を博したという。火、水曜日休館(7月17日~9月1日の間は無休)。
(朝日新聞:2008年6月26日)

田井東地域スタッフ

[ニュース]
●土佐楮の美術用和紙「大濱紙」誕生

高品質の土佐楮を原料にした美術用高級和紙の新ブランド「大濱紙」が誕生した。開発したのは、国内有数の和紙技術研究者でもある大川昭典さんと吾川郡いの町鹿敷の鹿敷製紙。東京の有名美術商が開発資金を提供し、日本画制作や美術品の修復用に販売を始めた。大川さんはこの紙について「原料の配合の工夫というよりも、値段に合わないからと省略されていった手間を一切省略せず、昔は当たり前だった仕事を復元させた点が素晴らしい」と話す。この紙に平山郁夫氏ら国を代表する日本画家34人が新作を描いた新ブランドのお披露目展覧会が、7月1~8日にいの町紙の博物館、9~15日に高知市の高知大丸で開かれる。
(高知新聞:2008年6月20日)

高木敬子地域スタッフ

[ニュース]
●建築探偵団が保存法調査

 県内の建築家らで作り、歴史的な建造物を調査している香川建築探偵団が、珍しい構造を備えながら老朽化で改築の可能性がある高松興正寺別院の本堂を見学し、保存方法などを話し合った。
(読売新聞:2008年6月14日)

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